占星術の勉強をしはじめてから、4年ぐらいがたちました。
最初はいろいろ悩みがあって始めたんですが、それからはじまって、プラトンや古代の宗教など幅広いことを知ることができました。
プラトンなどの話には、「世界霊魂」(アニマ・ムンディー)というものがでてきます。これは、宇宙は一つの霊魂であるという考え方です。
宇宙は一つの生命体である、という考え方です。
環境などの分野で、ガイア仮説というものがあります。
これは、地球自体がひとつの生命体である、という意味です。この「生命体」というのをどういう意味にとらえるかですが、これは生命なので、意思をもっているとかんがえることもできますが、最初は、「有機的なつながりを持っているもの」と考えてみるとわかりやすいです。
つまり、地球上で起こった出来事は周りに伝播していって影響を及ぼす、という意味です。
湖面に石を投げると波紋が周りに広がるあれです。
先日、「タオ自然学」という本を読んだのですが、物理学の分野でも、そのような仮説があるのだそうです。
それは、「ブーツストラップ仮説」という理論です。
物理や化学の世界では、物質を構成している最小単位は原子である、とか分子である、となっていましたが、その原子は、原子核と電子からできていて、原子核は陽子と中性子からできています。この陽子、中性子、電子は素粒子からできていて、と現在ではなっています。
時間がたって観測技術が進歩すればするほど、この最小単位がどんどん小さくなっていって、結局物質は何か最小単位からできているのではないのではないか、という問題意識からでた理論なのだそうです。
この理論では、物質は、最小単位からできているのではなく、織物(ウエブ)のようにそれぞれの糸が折り重なってできている、という考え方です。
詳しい説明は、以下のリンクにあります。
この理論の面白いところは、部分は周りの影響で性質が決まる、というところで、周りも部分の影響をうけて性質が決まる、としています。
つまり、部分は全体に影響を及ぼし、全体も部分に影響を及ぼす、というものです。
この本は、「タオ自然学」という名前のとおり、東洋哲学の視点から自然科学を解釈した本で、なかなか興味深い本でした。
この「部分と全体」の関係は、華厳経にも書かれているのだそうです。
以前に、華厳経の話で、蝋燭と鏡の話を読んだことがあります。
科学者が推測し、神秘家が常に主張しているのは、われわれの現実の環境が、我々自身の意識すべてを含む、集合的意識の総体によってつくられているということである。しかしそれが途方もない習慣場になって、われわれが固定したがゆえに、慢性的に馴染み深いパターンに固定されているのだ。
七世紀の則天武后が同じような問題をかかえていた。宇宙は一つに結ばれており、たがいに反射しあう宝石の巨大な網状組織のようなものだとする、仏教徒の概念が理解できなかったのだ。
則天武后の考える宇宙はそのようなものではなかった。そこで、ファ・ツァンが素晴らしい実物実験をおこなったが、これは現代のホログラフィ・モデルにきわめてよく似たものである。ツァ・ファンはすべて鏡で覆われた部屋に一本の蝋燭をたて、則天武后にいった。「これが一と多の関係をあらわします」
次に部屋の中央に水晶をおき、多と一の関係を表していると告げた。さらにつけくわえ、これは真理の一部にすぎず、このモデルは活動力を示すために動かなければならないのだといった。われわれの新しくつくりだした考えにも、長い歳月を経てこれが影響している。(「夢の劇場」386)
この蝋燭と鏡の意味が長いことよくわからなかったのですが、全体と部分の関係を「互いに反射しあう鏡」に例えで表現していたのだな、と最近になってわかりました。
Ritesh TamrakarによるPixabayからの画像