フィクションは信じることによって、現実になる?
先日、NHK BSの番組で、「フィクションは信じることによって、現実になる」という内容のことを言っている哲学者の番組を見ました。
その哲学者の名前をよく覚えてなくて、カタカナ三文字だったこと以外は忘れてしまっていました。
ネットでいろいろ検索して、やっと見つけました。便利な時代になったものだなあ、と改めて実感しました。
哲学者の名前は「ハラリ」さんで、見た番組は、下のリンクの番組でした。
「ハラリ」で検索してみると、確かに「フィクションは信じることによって、現実になる」という内容の著書があるようです。
あらゆるものは、人間の意志によって作られる
唯物論全盛の時代なので、人間の精神は、脳という「物」が作りだした電気信号の作用である、というような解釈が主流になっていますが、唯心論の考え方でいうと、逆で、人間の意識が「物」を作り出している、と考えることになります。
たとえば、インターネットやパソコン、スマートフォンも、金属やプラスティックで出来てはいますが、それを構想して、作り出したのは、人間の意志や精神です。
世の中にあるあらゆるものは、人間の意志によって作られたと言ってもいいでしょう。
「認知革命」による歴史
で、ハラリさんの話に戻りますが、詳しく解説しているサイトを見つけました。
だいたいの概要はこんな感じです。
宗教はもちろん、国家、お金、資本主義、そして家族という構成単位もまた、実際には実在しない一種のフィクションにすぎません。その幻想を複数の人々(ひいては数百人、数万人)が信じることで、1人では決してできないことを成し遂げてきた、それが人類をドライブさせてきた力の根源だとハラリ氏は説きます。それがホモサピエンスによる「認知革命」なのだと。
この主張は、人間の精神が直接、物質に働きかけて、変容する、ということではなくて、「フィクション」というものを全員が信じることによって、それがあたかも「ある」状態になる、ということのようです。
以前に、「想像の共同体 ナショナリズムの起源と流行」という本を読んだことがあるのですが、「国家というものも、実際には存在しない組織だが、新聞やテレビなどのマスメディアの報道で、全員が、その国家があると信じることによって、国家というものが存在するようになる」、という内容の本でした。
今の通貨制度も似たようなところがあって、19世紀までは、通貨には裏付けとなる金(ゴールド)や銀(シルバー)などがあったのですが、現在の通貨には裏付けとなるものはありません。
「では、なぜ何の裏付けもない紙で、物が購入できるのか」という話を数年前に読んだことがあります。
答えは、「世の中の人全員が、通貨で物が購入できると信じているから」というものでした。
私も最初この結論を聞いたときは、意味がイマイチ理解できなかったのですが、唯心論についての本を読むと、理解できるようになります。
精神や意志は、直接的に物質に影響を及ぼすのか?
このハラリさんの「認知革命」の理屈は、ある一定に人数がそれを信じることによって、信じたことが現実になる、という、精神や意志が「間接的に」現実に影響をあたえる、というものです。
では、たった一人の人間がそれを信じている、として、それは現実になることはあるのでしょうか?
先日読んだ松村潔著「トランスサタニアン占星術」には、このようなことが書いてありました。
乙女座は視覚をつかさどるが、人間の視覚は、信念や思想の影響を受ける。
思想が視覚を作るのである。
という内容です。
社会一般にそれは非現実である、とされていたとしても、その人が「それが現実だ」と信じていれば、それはその人にとっての現実なのです。
もっというと、ほかの人には見えてないものであっても、その人には見える、ということになります。
つまり、その人が信じていることは、その人の中では実現する、あるいは、信じた時点で実現している、ということかもしれません。