最近、小野十傳先生という占い師の方のブログをよく読んでいます。
先日の記事がとても面白かったので、ご紹介しようと思います。
こういうことを考えていきますと、10月はどーしてoctoberなのか。
ラテン語というかイタリア語では、ottobreが10月であります。
が、10の数はdieciでございます。
ところが8をottoと書きますです。つまり10月は、じつは8月ではないかという名残にぶつかるのでございます。
ちなみに7はイタリア語でsette。9月はsettembre。
9はnove。11月がnovembre。出典:小野十傳オフィシャルサイト「2021.10.19 画数の秘密」
なぜ10月(October)にラテン語の8を意味するOctが使われているのか?ということについて調べてみました。
いろいろ調べていくと、西洋占星術の1月は春分点がある3月になります。
つまり、3月を1として数えていくと、10月は8番目に月になるから、ラテン語の8を意味するOctが使われているのだとか。
こうなると、なんで2月だけ日数が違うのか?という疑問も解けてきます。
3月が始まりの月とすれば、2月は1年の終わりの月、ということになります。なので、一番終わりの月で端数調整をしている、と考えると2月だけ日数が違ったり、閏年で日数が違ったりする理由もわかってくることになるのです。
秘教的な占星術の話では、サインの数は10でよいらしく、2個はあまりなのだとか。
これは東洋の占術に出てくる「空亡」とも関係がありそうです。
ブログには、プラトン年の話も出てきます。
プラトン年というのは、地球の地軸の傾きによる歳差運動により春分点自体がずれて、ホロスコープにも72年に1度のズレが生じる動きのことです。
なので、現在の春分点から見える星の位置は、昔の春分点で見える星の位置とは違う、ということになってきます。
インド占星術では、この春分点の調整を行っています。
インド占星術のホロスコープで見ると、太陽が牡羊座に入ったのは4月14日(時間が正確にわかりませんが、多分午前6時3分ごろ)です。
4月14日(午前6時3分)の西洋占星術のホロスコープを見てみると、太陽が牡羊座24度9分にあるので、24.15×72≒1739になります。
つまり、西洋占星術がインド占星術から分離して成立したのは、1739年ぐらい前だったのではないか、ということになってきます。
計算してみると、2021-1739=282で、西暦282年ごろに西洋占星術が成立したのだ、と予測できることになります。
この近辺で宗教や思想的な世界史的な出来事というと、313年のミラノ勅令(ローマ帝国のキリスト教国教化)が想起されます。
世界史のサイトでいろいろ調べていくと、ローマでは284年にディオクレティアヌス帝という人が皇帝に即位して、ローマ帝国の専制君主制がはじまったとされているようです。
303年、ディオクレティアヌズ帝は最後で最大のキリスト教迫害を行った。自らをユピテル神になぞらえ、神としての皇帝崇拝と、伝統的なローマの神々への祭儀への参加をキリスト教徒に強要した。またキリスト教の書物は焼却され、教会の財産は没収された。ディオクレティアヌスのキリスト教迫害は、キリスト教徒を捕らえて円形闘技場に引き出し、ライオンに食わせるといった公開処刑だけでなく、そのころ作り始められていた使徒たちの手紙などを集めた聖書の原型となる書物を没収し焼却したことや、教会の財産を没収するなど、信仰の拠り所を無くすことを主眼としたことであった。
出典:世界史の窓「ディオクレティアヌス帝」
もしかすると、この頃にもともとのキリスト教の教理や、歴史的な占星術などもすべて失われてしまったのかもしれません。
現在のキリスト教はローマ帝国によって政治産物化されたものが伝わっているとすれば、キリスト教の血みどろの歴史も納得がいきます。
LoggaWigglerによるPixabayからの画像